会社が人生の全てではないと思う話
どれほどの愚痴をこぼしただろうか、今思うと有り難いような悲しいような。
高校卒業して、頭の悪い自分はすぐに就職をした。その当時、(今から十数年前)は就職氷河期で雇ってもらえるならどこでも良かった。何社か面接に行き、製造会社で正社員として雇ってもらえた。
その当時は、仕事、会社が自分の全てだと思い込み働いた。自分は無口で人付き合いも上手くなく、物覚えも良くないので、あまり上司にはいい顔をされなかった。今思うとマジメすぎたのかもしれない。
何度か大きなミスをして、上司から仕事を変えた方がいいんではないかと言われたが、それでもその会社が自分の全てだと思い、泣きながら「ここで働かせてください」と懇願したのを今でも覚えている。
大きなミスをすると誰がそれをやったのかとトコトン詰められ、係長はキレて叫んで、自分の同僚に「もっとしっかり指導しろよ」と怒鳴り上げた。一番下っ端の自分は何も言えず、ただ「すいませんでした」としか言えなかった。
自分の両親は共働きで、父親は日本料理のお店に勤めていたけれど、その会社は経営不振でほとんどタダ働きで働いていた。その後、父親の勤めていた会社は潰れてしまった。たぶん自分と同じような気持ちだったのだと思う。会社が自分の人生の全てだと思っていたのだから。
母親はひたすら働いて自分たち家族の生活の主軸だった。どんな時も何も言わずに働き、一家を支えて今でも頭が上がらない。
ある時、父親が亡くなり、自分は会社を早退した。父親が病気なのを、会社の誰にも話さなかったので、誰もが驚いていた。
その時になって、「いつかは死ぬんだ」、なら自分の人生やりたい事をやってみるのがいいんじゃないか。
初めて喪主をし、自分が勤めていた会社の上司が父親の葬式に来てくれた。どういう気持ちで来てくれたのかは分からない。
一週間ほど、会社を休んで仕事に戻ると、同僚が気遣いの言葉を自分にかけてくれた。ありがたいと感じたけれど、どこかよそよそしさも感じた。
それからは仕事をして、週末はバイトをしていた。バイト先は接客業だったけれど、バイト先の方々は高校生、大学生で自分が年齢的には上の方だった。頭の悪い自分だけれども、皆さん仲良くしてくれて嬉しかった。
仕事終わりに週末バイトの生活は5年ほど続いた。特に取り柄もなく、頭の悪い自分だけれど、マジメさだけは仕事先、バイト先に買われてなんとか過ごしていた。
ある時、友達からの誘いで初めて海外旅行をした。それが自分の中の何かを壊すキッカケだった。
旅行をして知らない世界に触れてみると、別次元に思えるほど海外の方々は笑顔で素敵に見えた。
若さからかもしれないけれど、海外に住んでみたら多分、人生変わるんではないか、今の仕事してバイト暮らしより未来があるんではないかと思い立って行動した。
次の年、仕事を辞めてかっこいい言い方をすれば語学留学(ただのニート)の生活をしてみた。
仕事、お金が人生の全てだと思って生きてきた二十数年は、そのままでもよかったのかもしれないけれど、海外に来て自分が外人だという見方をされる経験は日本では味わえなかった。
海外生活6年目になり、なんとかこちらで生活もできているありがたさを感じているけれど、今だに会社での失敗、日本にいた時の後悔は消えません。
誰かに言われたからといって誰かのせいにするのもいいかもしれないけれど、自分のことだから、自分のケツくらい自分でふけるようにはなりたい。